通天閣の歴史

◆初代通天閣と新世界の誕生!

 

明治36年(1903年)に、大阪市の「天王寺(てんのうじ)」と言う地域一帯で、「第五回内国勧業博覧会」が華々しく開催されました。

 

今で言うところの万博(万国博覧会)ですね。

 

5ヶ月間で、530万もの人が訪れたそうです。

 

その博覧会が終わった後、跡地の西側半分は民間に売却され、その場所に「大阪新名所」とうたわれた歓楽街の「新世界」が誕生しました。

 

明治45年(1912年)のことでした。

 

新世界の中心部には、遊園地や映画館、芝居小屋などが立ち並んでおりました。

 

その遊園地は「ルナパーク」と呼ばれ、遊園地の入口部分にシンボルとして建てられたのが「通天閣」でした。

 

この当時の通天閣は、塔脚(土台)の部分が「凱旋門」、塔の部分は「エッフェル塔」をモデルにした、とても斬新なデザインで、大阪の人々を驚かせました。

 

この初代通天閣の高さは、約 75メートル。

 

当時、東洋一の高さを誇りました。

 

また、ルナパークの象徴として「ホワイトタワー」と名付けられた、高さ 40メートルの塔がありました。

 

そのホワイトタワーと通天閣のそれぞれ中腹部分を、4人乗りの赤いロープウェイが行き来し、人々を魅了しました。

 

これが大阪初のロープウェイです。

 

しかし昭和18年(1943年)に、通天閣のそばの映画館が炎上し、その影響で通天閣の鉄骨がねじ曲がり、ついには戦時下の鉄材供給の名目で、解体されてしまいました。

 

初代通天閣

 

◆ 2代目通天閣の誕生

 

シンボルとなる通天閣を失いつつも、戦後の新世界は、人々から親しまれ続けておりました。

 

とは言え、やはり通天閣が消えて寂しくなっていた新世界を、何とか復興しよう!と、地元の人々が立ち上がりました。

 

地域住民や商店主らが株主となった通天閣観光株式会社が設立され、そして念願の2代目通天閣が、昭和31年(1956年)に誕生しました。

 

初代通天閣が姿を消してから、13年ぶりに新世界のシンボルに灯りがともりました。

 

2代目通天閣の高さは 103メートル。

 

展望台からは、新世界の町並みが眼下に広がり、晴れた日には大阪城や梅田の高層ビル、更には六甲山や生駒山までもが一望できます。 

 

2代目通天閣に導入された円形のエレベーターは世界初で、当時はとても貴重なものでした。

 

世界初円形エレベーター

 

そして、平成15年(2003年)には、大阪市の指定景観形成物に指定され、更に平成19年(2007年)には、国の登録有形文化財に指定されました。

 

通天閣は、なにわが誇るシンボルタワーとして、大阪の街を見守り続けてくれています。

 

 

2代目通天閣つうてんかく

 

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