豊臣秀吉が造った大坂城は、全て土の中?
熊本城、名古屋城とともに「日本三名城」と言われている大阪城。
今や国内外から年間 130万もの人が訪れる、大阪の人気観光スポットです。
大阪城と言えば、「豊臣秀吉(太閤さん)のお城」だと思っている人が多いと思います。
しかし、現在私たちが目にしている大阪城は、実はそうではないのです…
豊臣時代に造られた大坂城は、現在すべて、土の下に埋もれてしまっています…
現在の城郭のほとんどが、江戸幕府のものであり、天守閣にいたっては、昭和初期の建築なのです。
大阪城で過去にいったい何が起きたのでしょう…?
大阪城の歴史を簡単に説明したいと思います。
大阪城の歴史記事一覧
今から 430年以上も昔のお話。浄土真宗の本山として栄えた石山(大坂)本願寺の跡地に、天正11年(1583年)、豊臣秀吉は大坂城の築城工事を開始しました。秀吉は、織田信長の安土城をモデルとしながらも、全ての面でそれを凌駕するような城造りを目指しました。築城を始めてからわずか 1年半後の天正13年(1585年)に、華麗で優美な装飾を施した天守が完成。当時、秀吉の政権は、まだまだ不安定なものだった為、...
豊臣秀吉が築き上げた大坂城。しかし、その秀吉が造った大坂城は、今から400年前の元和元年(1615年)、「大坂夏の陣」で落城し、現在は全て土の下に埋もれてしまっています。現在、私たちが見ている大阪城の石垣や堀は、徳川時代に築いたもので、天守閣にいたっては昭和に入ってから建てられたものなのです。初代大坂城は、豊臣時代に造られ、2代目大坂城は、徳川時代。そして昭和になって再築された現在の天守閣は、3代...
現在、私たちが目にしている大阪城 天守閣は、実は昭和初期に建てられたものです。大阪城と言えば、「豊臣秀吉」が建てたことで有名ですが、秀吉が築き上げた大坂城は、残念ながら今は土の下に埋もれてしまっていて、見る事ができません…現在、私たちが見ている大阪城の石垣や堀は、徳川時代に再築されたもので、天守閣にいたっては、昭和に入ってから再建されたものなのです。豊臣時代に造られた天守が初代で、徳川時代に作られ...